今回の旅の目的は息子の留学先視察旅行。親子水入らず二人っきりでこんなに長い間旅をしたのも息子が小さい時以来です。
息子が小さい時は「あーしなさい。こーしなさい」と言っても言うことを聞いてくれましたが、今はもう高校生。
私がそんなこと言ってしまうと、口喧嘩になってしまいます。大人になっていっている彼のやり方を尊重してやらないといけないなと毎日反省の日々です。
そうやってときどき喧嘩をしながら、でも毎日楽しくやっています。
一週間という短い期間で東海岸の大学を4校、西海岸を2校、その土地の『空気』を感じに地球を一周ほどする距離を移動しています。
今回の旅は自分たちで計画して自分たちで移動している旅です。
いくら英語が話せると言っても全く知らない土地で電車やバスに乗って移動しなければなりません。
今はインターネットのおかげで事前に下調べをすることができますが、でも現地に行ってみなければ分からないこともたくさんあります。
息子と二人地図やガイドブック片手に「あーでもない、こーでもない」と意見をぶつけあいながら目的地やバス停を見つけるのに必死です。
でも、そんなときには必ず『救いの手』がさしのべられます。
「何かをお探しですか?」「どこに行くの?」一見ぶっきらぼうに見えるアメリカの人もそれは私の思い込み?とても親切に声をかけてくれる人が必ず現れます。
そのおかげで私たちは過密スケジュールにもかかわらず、スムーズに目的の場所に移動することができ、お茶をゆっくり飲む時間さえもつことができました。
息子はバスケットボールをしているのですが、ニューヨークで買った、きっとニューヨークだから手に入ったNBAの靴や帽子を見て
「Nice shoes! ナイスな靴!」
「Nice cap! ナイスな帽子!」
「Oh! where did you get it? どこで手に入れたの?」
と言ってくれる人がいて息子もご満足な様子。
「なんか親切な人によく出会うよな。みんな困った時に助けてくれる。きっと明日も助けてくれる人が現れてくれるんやろうな」と言っていました。
息子のその言葉を聞いてあらためて思ったのですが、今までの私の人生、いつもどんな時でも困ったときに『救いの手』がさしのべられてきたなと。
人は親切で助けてくれるんだと。
『親切』を受けるこつというかそういった『現実』を体験するには『親切』を素直に受け取る心と「人はみんな不親切だ」とか「人は人を傷つける」という思いを持たないことだと思うのです。
すべて起こることには意味があると言うことを知り、謙虚に起こって体験したことの中に見える自分の思い癖や人からもらった価値観を客観視することでもうその体験をすることもなくなり、あるいはその体験に対する感情反応をすることもなくなります。
今回の旅で出会った親切な方々のおかげで「人は親切なんだ!」と改めて思えそういった現実をもっともっと体験していけそうです。本当に感謝です!
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