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太郎がうまれてから、母は少しずつ変わっていきました。
今では国際結婚する人が増え、日本国内でもハーフの子供をたくさん見ますが
私が太郎を産んだ頃はまだそれほど国際結婚する人が多かったわけではありませんでした。
なので「国際結婚をした娘」「ハーフの子供」となると、世間一般的に言うと「普通」ではないことでした。
そんなハーフの太郎を初めて日本に連れてかえるときに
「いつもまわりの目を気にする母はなんと思うのだろう」
とわたしは気になりましたが、父と母は空港に迎えに来てくれたとき
到着口の柵の中まで入ってきてわたしから太郎を奪い取るようにして太郎を抱きかかえ、太郎のほっぺにキスの嵐を浴びせかけました。
家に帰ってからは、まわりの目を気にするどころか
母は父と競い合うように太郎を外に連れだして
通りゆく人が「なんて可愛い赤ちゃんなの」と言ってくれるたびにとっても嬉しそうにしていました。
太郎を乳母車に乗せて買い物に行く時も
「みんな太郎を見ている。やっぱりうちの子はハーフで可愛いからな~」
なんてもう鼻高々。
「孫の可愛さ」が「世間体」に勝ってしまったようでした。
私は日本に帰るたびに、子供時代に甘えられなかった分おもいっきり母に甘え
子供時代の寂しさをどんどん満たしてゆきました。
母もまた、私たちが子供の頃には余裕がなくて注げなかった時間と愛情を
太郎をとおして注ぎなおしているような気がしました。
そうやって、わたしと母の癒しのプロセスがはじまったのです。
-29-につづく
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