今日お風呂に入れるために干していた大根の葉っぱを麻袋に入れていた時、ふと祖母のことを思い出していました。
私の母方の祖母は、現在106歳で元気に長生きしています。
祖母の住む市の市長さんから何度も市の最高齢者として表彰されています。先に亡くなった祖父も亡くたった時は104歳と「金さん銀さん」ではありませんが、夫婦そろって100歳長生きを目指していました。祖父はいつも「百歳まで生きる」といっていました。
何をするにも有言実行の人でした。
祖父が亡くなった時、祖母はまだ99歳で生きて二人そろって100歳の夢は叶いませんでしたが、二人ともとても長生きです。
わたしは昔からこの祖父母が大好きで、よく一人祖父母の家で長い間滞在し、祖母の家事の手伝いをしたり、祖父母とお弁当を持ってハイキングに行ったり、月夜のきれいな夜には庭に縁台を出して月を見ながら晩ご飯を食べたりしました。
夜寝る前は祖父がよく色々な話をしてくれ、それをワクワクしながら聞いていたものです。
そんな祖父母の口癖は「ありがたいな。本当にありがたいな」 いただき物をしたとき、人に親切にしてもらったとき、なにかうれしいことがあったとき、どんなときでも二人で手を合わせ「ありがたい。ありがたい」と言っていました。
祖父は一切人の悪口を言わない人で、なんのジャッジもせず、その人のよい所を見る人でした。
生まれは明治時代。
いくつかの戦争を体験し、貧しい時代も乗り越えてきました。
困っている人がいると身銭をきって人助けをするような人で、地域の人からの信望もあつく「仏のような人だ」と言われていたそうです。
そんな祖父母ですが、豊かな時代がやってきて、経営していた町工場を次の代に渡して日本中を旅行してまわりご隠居生活をしていた頃、その町工場が倒産してしまいました。
財産すべてを失って住む家も失ってしました。
でもそんなときに多くの知人が祖父母のために「あのときは本当にお世話になった」と手を差し伸べてくれたのです。
それからも、何かあるたびに必ず誰かが祖父母のためと手を差し伸べてくれました。
わたしは小さい頃から「尊敬する人は?」と聞かれると「おじいちゃん」と答えていました。
わたしの魂はちゃんと理解していたのでしょう。
どうしたら幸せに豊かに暮らしていけるのか。
ずっと祖父母がお手本をわたしに示してくれていたのでしょう。
今も祖母が生きていると思うと、その奇跡にこころからうれしさがこみ上げてきます。
今思うと、祖父母こそが最初に「空」で生きるとは、「至福」で生きるとはどういうことなのかをわたしに教えてくれていたんでしょうね。
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